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素顔のカトマンドゥ 日本が教えてくれた故郷
本によせて
本が出来るまで 弦書房・小野静男
本書を企画したのは、「アジアウェーブ」というミニコミ誌を通し、ラジャ・ラトナ
・スタピットさんと知りあってからだと思います。大阪で何度かお会いするうちに、
ネパール人でなおかつ日本語に堪能、しかも写真も文章もうまいこの人にネパールの
魅力を凝縮した本を書いてほしい旨、依頼しました。それが2003年頃ではなかったか
と思います。
私自身は、1987年~1989年の2年間にネパールのポカラ西方30キロの地・パルバット
郡クスマで青年海外協力隊員としてこの村の小中学校で理科を教えた経験があり、ネ
パールは自分にとっての第2の故郷という考えを強く持っていました。日常の人々の
しぐさや生活習慣(たとえば東から昇る太陽にむかって毎朝祈る姿など)が日本の田
舎によく似ていることに感銘をうけました。釈迦の生誕地ルンビニがあることもさら
に親近感を持った理由のひとつでもあります。
〈ネパールには日本がある〉その思いを今現在も強く持っています。
そのことを書物の形で残しておきたいという考え方は、この出版の仕事を始めて20年
来の一貫した〈私に課した仕事〉でした。それが、このような形で、著者がネパール
人、素材がカトマンドゥという形で実現したことは望外の喜びなのです。本書の中
に、日本人であれば、必ず、ある種の日本の原型を見つけることができるはずです。
そしてそれができたとき、日本という国を客観的に見つめることができるようになれ
るのではないでしょうか。
アジアというものは、日本の中にいつもあるのだということを、本書を通して知って
ほしいと思います。ただ、本書では、ガイドブックには表れてこない日常のネパール
を見ることもできるということは強調しておきたいのです。
たいせつな何か
故郷カトマンドゥを離れて、日本で暮らす年数のほうが人生で長くなりました。私に
とってはどちらもたいせつな故郷です。1990年に初めて来日して、たくさんの「ちが
い=異文化」との出会いをきっかけに、私の世界はひろがりました。「ちがい」はあ
くまでもきっかけであり、「自分自身に向き合うことで世界がひろがる」ことを実感
した、かけがえのない経験でした。
この本は、私にとっての「素顔の」カトマンドゥ、人々の暮らしが息づく故郷を再発
見して案内するような気持ちでつくりました。生まれ育ったカトマンドゥが私にとっ
てはかけがえのない故郷であるように、本を手にしてくださった方が、それぞれの故
郷に思いを馳せていただきたい。いわゆる珍しい異文化の紹介や観光案内ではなく
て、時代が移り変わっても人が生きるうえで「たいせつな何か」をわかちあうきっか
けになることを願いながら4年かけてできた本です。
昔、本屋さんで見た夢
初めて日本に来たばかりの頃、「本屋さんに行くこと」が私のささやかな楽しみの
ひとつでした。ずらりと本が並んだ棚の前に立って、本のタイトルを読んでみるの
が好きだったのです。「この漢字は読める、これは何というのかな」と心のなかで
つぶやきながら一つひとつタイトルを眺めていました。日本語を勉強し始めたばか
りの当時の私にとっては、ちょっとした遊びのような楽しい勉強法でもありまし
た。
色々なジャンルの本があるのが新鮮で、いくら眺めていても飽きませんでした。ハ
ードカバーの難しそうな本から料理の本、小説や漫画、参考書や雑誌、大きさも見
た目も色々でした。そんなある日、ネパール関連の本が見あたらないことにふと気
づきました。何だか少し淋しい気持ちになって「日本語を一生懸命勉強して、いつ
か日本語でネパールの本を書いてみたいな」と漠然と思った記憶があります。
それから数年後、『カトマンドゥ通信』(現『カトマンドゥジャーナル』)を始め
ました。そして小野さんと出会い、夢が実現したのです。日本の本屋さんに自分が
書いた本が並んだときは嬉しくて、遠い日のことを思い出していました。