日々の暮らしと仏教

走り続けている人生

走り続ける人生

「走り続けている人生」という言葉から「とても活発に忙しく過ごしている」充実した姿が思い浮かぶのではないでしょうか。朝から晩まで忙しくて当然の現代社会では、どちらかといえばよいイメージかもしれません。しかし、仏教では少しちがう意味があるようです。

一瞬もとまらずに動きつづける太陽さえも

朝のぼってから、夕方には沈んでいく

この人生も死にむかって、いまも走り続けている

これは「死」についての経典からのことばです。「勢いよく昇り、動きつづける太陽」を人生にたとえています。朝昇った太陽が夕方にはかならず沈むように、私たちは生まれてから一瞬もとまらず死にむかっている-そのことを忘れないよう思いおこしなさいと説いています。

少しだけたちどまることができれば、「走り続けて」は見えなかったことが見えてくるかもしれません。

自分の顔を見なさい

自分の顔をみなさい

自分の顔を見なさい。
他人の欠点や、誰かが何をしたか、あるいは何をしなかったとか、
そのような話をするより、
自分がやるべきことをしたのかどうか、
そのことを考えなさい。

普段の会話のなかで、その場にいない人の話になることがあります。そんなとき、なぜかその人の良い面ではなく悪口や批判、文句になりがちです。

あの人はこんなことをした、その人はこんなことを言っていた、この人は間違っている、そんなこと絶対するべきではない・・・ほとんどが過ぎたことで、どうしようもない話です。しかし、なぜか心は楽しみ、話が盛り上がって時間があっというまに過ぎていきます。

時間のたいせつさを知っている人であれば、少し冷静に考えてみて、誰のためにもならない会話はやめようと思うはずです。しかし、頭でわかっていても、なかなか実践できません。心には古くからの癖があって、結果的に時間を無駄にして、自分がやるべきことをしないのです。

誰かの悪口に時間を費やすよりも自分のやるべきことに集中することで、自分にとっても周りにとってもよい結果があるはずです。その真実と、この仏教のことばを自分に何度も言い聞かせながら、少しでも実践を心がけています。

永遠に続かない

永遠に続かない

思いがけない問題に直面して、苦しんだ経験は誰もがあると思います。

仕事や家族のことで想像もしていなかった困難に見舞われて、しばらく眠れないほど悩んだことがあるかもしれません。 Continue reading

傷つく言葉

傷つく言葉

誰かの「一言」で傷つき、何度も思い出すことはありますか。

普段、何気なくつかっている言葉は喜びや笑いも生みますが、ときには怒りや悲しみを生み出します。自分にとって「ゆるせない」言葉は、心のなかで繰り返すたびに「悔しくて、悲しい」気持ちになるでしょう。あるいは、思い出すたびに「嬉しい」言葉があるかもしれません。

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自分らしく生きる

日々の暮らし仏教

私たちは、たくさんの人とかかわりながら暮らしています。毎日いろいろな問題にも直面します。

そこで、「解決しよう」と前向きな気持ちで問題に向き合うことができているとは限りません。問題を誰かのせいにしてみたり、ああでもない、こうでもないと過去のことを考えたり、問題に向き合うことから逃げてしまいがちです。そのうち面倒になって、結局、解決しないまま時間だけが過ぎて困ってしまいます。 Continue reading